ラッシュアワーにおける、ゆるやかな合意の形成

昨日嫁さんの友人から聞いた話ですが、職場の同僚(女性。以降、仮にA女史と呼びます)が、毎朝電車で隣の人にもたれ掛かりながら寝てしまうんだそうです。

A女史がもたれ掛かる相手は赤の他人。さらに、いつも決まった人物(男性)らしいのです。

僕も電車通学や通勤の経験がありますが、慣れてくると毎日同じ時間、そして同じ車両を使うことになります。そのうち立つ位置や座る場所、そして周りの顔ぶれも大体決まってくるわけです。もちろん名前や素性まではわかりませんが、どのような人物がどこから乗ってきてどこで降りるか、といったようなことも分かってきます。そうなってくると、確かに妙な連帯感を感じることがあります。

いつも見かける人が同じ電車に乗ってこなかったりすると「ひょっとして体調でも崩したのだろうか」などと心配することさえあります。そういった感情を考えれば、二人の間で肩の貸し借りが暗黙の了解のようになっていたことも、なんとなく理解できます。

加えてA女史は「服装や化粧にも気を使っている綺麗なタイプ」だという話なので、おそらくその男性はまんざら嫌でもなかったのでしょう。いや、むしろ寄りかかって欲しかったのかもしれません。分かりますその気持ち。痛いほど分かります。

要するに互いのニーズがマッチしてバランスが保たれた状態だったわけです。いわば相利共生です。

ところがある日、その「暗黙」の共生関係にちょっとした変化の機会が訪れます。

A女史はいつものように隣の男性にもたれ掛かって寝ていました。しかしふと男性の膝に目を落すと、そこに糸屑がついているのを発見。とっさにA女史は、無意識的に男性の膝から糸屑を摘み上げてしまったのだそうです。

男性もそれに気づき、目が合いました。いつも肩を借りているとはいえ、隣の男性が赤の他人であることをA女史は思い出し、男性に「すみません」と言ったそうです。すると男性も「あ、すみません」と応えたとのこと。

短いやり取りですが、この「すみません」には、お互いに色々な意味が込められていたはずです。「すみません」という言葉は多様な意味を持ちますので、このような場面では有効に機能します。奥ゆかしき日本文化を代表するといっても過言ではない、すばらしいフレーズです。

そして今まで「暗黙の了解」であった行為について、この瞬間にある種の合意が形成されたと考えることができるかもしれません。要するに「肩の貸し借り」まではOKで、「膝の上の糸屑を取ってあげる行為」はその範疇を超える、いわば「出すぎた行為」だという認識が双方で共有されたと考えることができるんじゃないかと。

このエピソードの後日譚については聞いていませんが、A女史と男性がその後どうなったのか非常に気になります。

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